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著者は,昭和30年代に東大で精神医学を学び,アメリカ留学ののちに,帝京大学医学部精神科初代教授として教室を創設,その後都立松沢病院院長をつとめたという経歴をもつ.50年の精神科医生活をふり返りながら,臨床精神医学のありかたや東大精神科分裂について再考し,研究者,大学教授,精神科病院院長としてそれぞれの立場からみた「日本の精神科医療」について鋭く言及している.
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目次
序章 私の生い立ち
1.私の少年時代
2.茨城県立水戸中学—水戸一高—東京都立国立高—東京大学入学まで
第1章 東京大学で医学を学ぶ
1.東大医学部医学科の学生時代
2.東大で精神医学を学ぶ—講義と教科書
3.内村祐之教授の臨床講義
4.内村教授の最終講義とご退官
5.精神医学の道を選ぶ
6.秋元波留夫教授の精神医学
7.私が東京大学で学んだ精神医学
第2章 精神科初期研修と神経生理学研究
1.医師国家試験
2.精神医学教室への入局
3.東大での初期の精神科研修
4.精神科入院患者診療の研修と実際
5.昭和三十〜四十年(一九五五〜一九六五年)頃の東大病院精神科病室
6.神経生理学の動物実験
7.東大分院神経科での一年
8.てんかん終夜脳波の研究
9.その他の研究など
10.東大での臨床研修・研究で得た私の精神医学
第3章 東大学生の診療と関東中央病院神経科
1.東京大学学生診療所
2.大学院卒業と関東中央病院神経科への赴任
3.関東中央病院神経科
4.開放病棟での生活療法
5.関東中央病院での経験から得たもの
6.東大への帰局と臺弘教授就任
7.東大保健管理センター精神科助手となる
8.保健管理センターでの診療と東大新入生の面接
第4章 東大医学部ストライキ(いわゆる東大紛争)と精神科の内紛
1.昭和四十年代までのわが国の医学教育の歴史と状況
2.大学医学部における医局制度−二重構造
3.東大医学部の学生ストライキの経緯
4.昭和四十二年以後の医学部学生の状況
5.いわゆる「上田内科事件」
6.医学部の誤認処分問題とストライキの全学への波及
7.全国の医学生の動向と東大構内での混乱
8.大河内一男東大総長の辞任
9.東大全学のストライキ
10.東大全学ストライキ再考
11.東大全学ストライキの終結
12.精神科医局解散決議と臺教授不信任
13.その後の東大精神科と精神科医師連合
14.医学部学生大会の特別決議
第5章 アメリカでの精神科薬物療法学の研究
1.外国での精神医学の研究を考える
2.東京大学医学部卒業生の卒後研修をめぐる混乱
3.アメリカでの研究生活の始まり
4.遅発性ジスキネジアの研究
5.アメリカの臨床精神薬理学の日本への紹介
6.日本への帰国
7.アメリカでの研究で得たもの
第6章 帝京大学医学部精神科学教室の創設
1.日本の医学教育の歴史
2.帝京学園と帝京大学医学部の歴史
3.私と帝京大学とのかかわり
4.帝京大学医学部精神科の創立
5.精神医学教室の基本方針
6.帝京大学精神科創立初期の対外的活動
7.帝京大学における学生教育
8.大学医学部の新設の経験から学ぶ
9.帝京大学での新しい試み
第7章 帰国後の東大医学部精神医学教室
1.東大精神科の分裂状態
2.東大精神科病棟不法占拠の経過
3.東大医学部精神医学教室出身者の動向
4.東大精神科の分裂が続いた理由と経緯
5.東大精神科の診療統合
6.東大精神科の長期分裂状態の再考
7.東大精神科の分裂がもたらしたもの
8.あらためて東大紛争と精神科をふり返る
第8章 帝京大学精神科における精神科薬物療法の研究
1.アメリカ精神科薬物療法の紹介と導入
2.向精神薬の副作用に関する研究
3.抗精神病薬と抗パーキンソン薬の併用についての研究
4. 各種向精神薬の多施設共同研究—特にアモキサピンの効果に関する多施設共同研究
5.薬物血中濃度の研究
6.抗精神病薬の副作用についての日米共同研究
7.わが国の精神科薬物療法に対する批判
8.一般啓発書の出版—とくに『向精神薬療法ハンドブック』
9.精神科薬物療法学に私は何を寄与したか
第9章 帝京大学での社会的活動と学会
1.帝京大学医学部の開学と地域医療
2.東京都心身障害者福祉センター
3.地域の養護学校校医
4.板橋精神衛生協議会と城北精神医療研究会
5.厚生省の各種委員会
6.日本精神神経学会の評議員・理事
7.精神科関連の国内の学会の創立と関与
8.学術雑誌の創刊と編集
第10章 司法精神鑑定の経験
1.精神医学と司法精神鑑定
2.東京大学精神医学教室と司法精神鑑定
3.帝京大学医学部での司法精神鑑定
4.印象に残る精神鑑定例
5.私の行った司法精神鑑定の総括
6.精神鑑定について私が考えたこと
第11章 国際会議への参加と思い出
1.最初の発表—世界精神医学会議(メキシコ)
2.第1回世界生物学的精神医学会議
3三.その後の国際会議出席の経験
4.環太平洋精神科医会議(PRCP)
5.国際神経精神薬理学会議(CINP)
6.国際会議を振り返る
第12章 東京都立松沢病院院長
1.帝京大学教授から東京都立松沢病院院長に
2.松沢病院の歴史
3.松沢病院に赴任して
4.戦後の松沢病院の役割の変化
5.東京都の精神科医療施設と公立病院
6.私は松沢病院で何をしたか
7.東京都立病院の再編成計画
8.私が松沢病院院長として感じたこと
9.松沢病院院長を退職する
第13章 医師引退・発病・著述の日々
1.松沢病院院長の退職と自由な日々—短い第一の老後
2.脳梗塞で医師を辞める
3.著述の日々—第二の老後
4.気管支喘息重積症による入院—第三の老後
5.友人たちとの老後の交友
第14章 人生と精神医学を振り返る
1.医学の対象疾患の変遷
2.精神科医療の変化
3.精神科疾患の変容
4.統合失調症(Schizophrenia)
5.エピローグ
あとがき
人名索引
Nakayama Shoten Co., Ltd.